何度かすごい人の口から聞いた言葉
“人間は「損か得か好きか嫌いか」で判断するんだよ!”
最近は「好きか嫌いか」っていうのを大切にすることが、
人生を豊かにすると思うようになってきた。
まるで呼吸をするように無意識に損得勘定しちゃう。それこそが合理的であるかのように、「この人と付き合っても何の得もないぜ」っていう人も少なくない。
ヒロシ自身がそれに気づいたのは去年の秋ころ。振り返ってみると、自分自身が損するとか得するの理屈で動いてしまうと、自分の周りも「コイツといたら得するぜ」って人が集まってきていた。
でも、人間関係で「得させなければいけない」みたいなプレッシャーが気づかないうちにあった。裏側にあるのは、そうすることでしか自分に自信が持てないからかもしれない。”好かれない”っていう結果が怖かったのかもしれない。
しかし、損するからやらない・得するからやるを続けていては、痛い目をみる。しかも、けっこう痛い。
損するか、得するかは紙一重で。今話題の仮想通貨でも「ビットコインは得するからCCに登録だ!」って思った人はきっと、「損した!CCは悪だ!」って思ったのではないだろうか。(まだ損したかはわからないけど)
これは自分自身にも起こること。昨日まで自分の近くにいた人が、今日はコロッと変わってしまうかもしれない。「ヒロシといたら得するからヒロシとランデブーだ!」っていう人が「ヒロシといると損するわ、ヒロシないわ」ってなることが普通にある。
でも、好きか嫌いかっていう心って案外変わらなかったりする。もちろん急に醒めたりすることはある。特に男女は。
いかにも説得力ないけど、好き嫌いの感情こそが大事にすべきだ。
好きから醒めたことのほとんどが実は「損得」によるものであり、本質的に好きなものを嫌いになってはない(という主張!)。理由なく好きなもの嫌いになることは少ないはず(という主張)!好きだからやろう、好きだから応援しようって過ごしていると、自分の周りにも「コイツのこと好きだから一緒にいよう」っていう人で溢れるようになる。
「お、そうか!それなら、そうやって生きるほうが得じゃん」
まじ落とし穴だ。「そうやって生きるのが好きだ」って考えるのがこの場合正解ジャン。まじヒロシあほやん。
仮想通貨の例を挙げたけれど、「好きだから」仮想通貨に投資するのはいいことだと思う。損得を抜きにしてCC社が好きならば、何があってもいいはず。むしろ仮想通貨の可能性の中で歴史の一部で渦中にいたというポジティブ感情もありえる。今回、損得で動いて痛い目を見た人がめっちゃいたな。それがヒロシの感想。
ちなみにヒロシは仮想通貨を買わない。どうしても損得で見てしまうし、好きではないから。
ひふみ投信で有名なレオスキャピタルワークスの藤野さんも好き嫌いを大切にしてほしいといってるみたいだ。
参考 => 「損得よりも好き嫌いを選べ」藤野英人氏が説く…
競馬好きの人の名言がある。何度騙されれば気がすむのか、もうその馬は終わったんだ。と言われたときに。
「一度惚れた馬だ。引退するまで騙され続けてやるよ。」
これだ!って感じがする。いや、なんかやってることは競馬で大損こいてるだけなんだけど、スッゲーかっこいいなって思った。どう?
好きか嫌いかっていう心は大事にすべきだけれど、全く損得を考えないのはカッコいいけど、それはそれでやばい。あと、好きなものだけ食べ続けたら、健康を失いそう。
最後まで、いつもありがとうございます。